別府温泉の悲劇

エッセイ

 大分を友達2人と共に訪れた。そのうちの1人は我らがブログを共に更新している、というより、なんか意識高い系みたいなこと言ってる割にはあまり更新していないうだである。

 大分といえば別府温泉だろ、という、免許合宿はヤれる!ぐらいの浅はかな考えのもと、僕らは温泉に行くことを決めた。大分旅行初日の夜、大幅な割引でかなりお得に借りることができた豪華な一棟貸しから、僕ら3人は近くにあってそこそこ満足できそうな温泉をインターネットで見繕い出かけていった。レンタカーを運転するうだの、「お前ら道案内下手すぎやろ、あんな直前でそこ右折、なんて言われたって曲がれるかボケ。俺に日産ノートでドリフトさせる気か」という怒号が車内に響く中、同じ道を何周かぐるぐると回った末に、どうにか目的の温泉にたどり着いた。温泉に近づくにつれ妖しいネオンサインが露骨に目立つようになって初めて気づいたが、実はその温泉は風俗街の中ほどにあって、目的地まで僕らは一方通行の狭い道路や中年男どもの欲望が複雑に入り組んだピンク色の迷路の中を進んできていたのだった。その温泉の外観は、規模は劣るものの愛媛の道後温泉を思わせるような立派な木造建築で、グーグルマップでそれを発見した僕らはここなら安心して身も心も癒せそうだと小さからぬ期待に胸を膨らませてやってきたのだが、まさか同じ通りを別種の快楽への期待に別のものを膨らませた中年男たちがやってきているとは思いもよらなかった。

 やっとのことで到着して、正面から実際にその温泉の建物を眺めたとき、それが耐えてきた時代という長い長い時間の重みに自然と僕は思いを巡らせた。と同時に、細い道路一本を挟んで温泉の真横で輝く「無料案内所」の電飾看板のなんとも言えない時代遅れさや単純な下品さと、由緒ありげな温泉とが生む奇妙なミスマッチに、なんだか笑いを誘われた。沖縄のお土産屋で、外箱のサイズが同じだからだろうか、子供向けっぽい絵柄のトランプのすぐ横に、沖縄の名産品海ぶどうをモチーフにしたであろう「海ぶど〜む」なる避妊具が陳列されているのを発見したときの気持ちを思い出した。「プチプチはじけちゃいました♡」じゃねーよ、無邪気な子供に「おかーさん、これ何ー?」って聞かれる観光客の気持ちも考えろ。どうせメーカーの上役のいい年した汚いおっさんが、陰でドン・ワゥァー(ワゥァーは沖縄方言で豚の意)とか呼ばれてるのをジョン・コナーと聞き間違えて満更でもなく思ってる汚いおっさんが、オリオンビールがぶ飲みしながら「いいこと思いついた!新商品は、海ぶど〜むって名前のコンドームだ!!こいつはウケるぞ〜!!ガハハハ!!」という脂ぎった叫び声もとい鳴き声でもって、キャバ嬢に口からザンギのカス飛ばしつつ発表したに違いない。ほんましょーもない。こんなおっさんには死んでもなりたくない。おっさんもおっさんで僕のような陰キャ大学生にはなりたくないだろうが、そんなの関係ない。当て馬たちの行き場のない性欲を凝縮して具現化したような顔をしたおっさんに僕が圧勝しているのは、火を見るより明らかなのだ。ざまあみろ。

 本筋というようなものもないが、話がそれたので戻す。性風俗業界に通じているわけでもなんでもない僕が言うのもなんだが、このインターネット全盛の時代に風俗案内所が儲かってるのかはちょっと疑問だ。情報ならスマホひとつで事足りそうだと思うのは僕がデジタルネイティブ世代だからだろうか。思い返せば、割といろんな地域でもこういった街では案内所をちょくちょく見かけることがあったし、それなりの需要があるということなのかもしれない。とはいえ、ハンコ文化に通ずる時代遅れの感は否めない。

 「由緒がある」と「時代遅れ」の違いはどこにあるのだろう。「由緒がある」の方が長い歴史をもっている、というイメージがある。古いものほど「由緒がある」ということなのだろうか。だが現代から見て「由緒がある」とされるものも、かつては次の時代の潮流と衝突し、「時代遅れ」だと笑われていた時期があるはずだ。時代という逆流を乗り越え、人々から再び価値を認められるようになって、元「時代遅れ」は「由緒がある」になっていくのかもしれない。鯉が滝を登って龍に成るように。しかし時代の荒波に飲まれて、単なる「時代遅れ」のまま忘れ去られてしまうものだってあるだろう。全ての鯉が滝を登れるわけではない。「由緒がある」になるために必要なものは、一体何なのか。「無料案内所」がいつか龍になることはあるのだろうか。……歴史的価値を認められた「無料案内所」は、法隆寺、富士山に並ぶ日本の世界文化遺産へ。日本もといHentai Japanを代表する伝統的な文化のひとつとして、全世界の知るところとなるのであった……。嫌すぎる。どっちかというと負の遺産やろこれ。

 そんなことを考えながら玄関の引き戸を開けると、先客の学生グループが券売機の前に並んでいた。賑やかに話す十数人の彼らはサークル仲間だろうか。なんにせよ、大人数で楽しくやっている奴らは僕らにとって旅の敵だ。高いコミュニケーション能力の成果を見せびらかしやがって……。同様の理由でカップルも旅の敵である。僕らの旅の友は、レンタカーの外を通り過ぎていく(男を連れていない)女の子たちだ。車窓越しに見える女の子たちの姿が、それを見て「がわ゛い゛い゛!!!がわ゛い゛い゛!!!」などと奇声を発して喜ぶ、僕ら猿にも劣る3人の燃料となって、日産ノートはフラフラと進む。今年で21歳になります。じっくり熟成された高品質な童貞です。よろしくお願いいたします。

 温泉の内装は、外観と同じく年月を感じさせる広々とした味のある和風の板間で、座卓や座敷の休憩所なども設置されており、なかなか充実していた。券売機の前が空いたので入浴券を買う。どうやらここは大衆浴場らしく、豪華な外装・内装の割に300円というそのへんの銭湯よりも安い価格で入浴できるため、貧困にあえぐ読者の皆さんにも優しい温泉だと言える。ただしタオルや石鹸を忘れた僕らは、オリジナルタオル350円、シャンプー50円、ボディーソープ50円などのアメニティ品を購入する必要があった。タオルなどのために引き返そうと主張するうだを、残りの僕らが「旅行先でまで貧乏根性を発揮するとはけしからん」とかなんとか言って丸め込んだ。要は面倒だったのである。既に一棟貸しで一度風呂に入っていたという、今まで全く何の役にも立ってこなかったであろうマメさの片鱗を見せつけてきたうだはタオルだけを買い、僕ともう1人はタオル2枚に加えシャンプー1本ディーソープ1本を買って分け合うことにした。言ったそばから、僕ら2人も大概に貧乏根性丸出しである。受付で手渡されたシャンプーとボディーソープの試供品並みの小ささを見て愕然とする僕らに向かって、50円なんだからそんなもんだろと冷ややかに言い捨てるうだ。すぐさま彼を速すぎる手刀にて無礼討ちに処した僕らは、颯爽と男湯ののれんをくぐった。

 入ると既に浴槽が見えた。脱衣場と浴場を区切るものは何もない。脱衣場から階段を降りればすぐに浴場。さすが大衆浴場である。脱衣所の古びた木製ロッカーに脱いだ服を入れて、僕らは浴場へ降りた。先に入っていた学生グループが湯をかけあってはしゃいでいる。クソどもが。見たところ、浴場にシャワーなどは設置されておらず、洗面器で浴槽から汲んだお湯で体を洗うようだ。シャワーからお湯の出にくい僕の実家と同じスタイルじゃないか。家族4人ならともかく、十数人の学生グループの出汁が出ているお湯で体を洗うのは、もはや洗うとは言えないのではないだろうか。この大衆浴場、由緒ある古風な作りはいいのだが、そのせいで現代のテクノロジーが不足している。浴場にシャワーもなければ、脱衣所にドライヤーもない。例外となるのは券売機やらコーヒー牛乳の自動販売機ぐらいのもんで、商売っ気の表れとしてのみテクノロジーが存在するようだ。資本主義、万歳!!ついでに言うと洗面器は木でできた風呂桶ではなくプラスチック製のやつで、底にプリントされた新しいゴレンジャーのビジュアルイメージが浴場の雰囲気から完全に浮いている。もっとこう、徹底しろよ。もう1人……とか言うのが今更面倒くさくなってきたのでN氏と呼ぶことにするが、N氏と、僕らから謎のチョップを食らってちょっと怒っているうだの2人は、軽く体を湯で流してすぐに浴槽に入った。その間に僕は、1つずつしかないシャンプーとボディーソープで体を洗うことにした。後に体を洗うN氏の分を残しておくためにはこれらの半分しか使えないので、ほとんどお湯だけで洗っているような状態である。洗っている間に、2人は浴槽から上がった。半分使った試供品2つをN氏に託し、僕は浴槽に近づいた。この浴場で髪や体の泡を流すには、陽キャ大学生で埋まる浴槽の近くに座って、洗面器で湯を掬ってはかけ掬ってはかけという風にしなければならない。目をつぶって髪を洗い流していると、陽キャ大学生どもに見られているような気がしてきた。シャワーを浴びてるときに、不意に背後におばけの気配を感じて不安になるのと似ている。流し終わって目を開けると、浴槽の湯を掬っていた場所のすぐ近くに陽キャ大学生の1人が座っていて心臓が止まるかと思った。なんとなく気まずい、うだとN氏はもう浴槽にいないから、奥の誰もいないところに早く浸かりに行こう。

 僕は座っている彼の隣から浴槽に入ろうとした。

 あっ、浴槽の縁の内側によくあるあの段差がない。

 気づいたときにはもう、足を踏み外した僕の体は勢いよく倒れ込み始めていた。水面がスローモーションのようにゆっくり近づいてくる。まるで走馬灯を見ているようだ。

 僕は下手くそな飛び込みのように、腕で宙を掻きながら浴槽に落下して、浴槽の片隅で激しい水しぶきを上げた。腹と頭をほとんど同時に水面に叩きつけるような着水は、浴場いっぱいにペチンバシャーンという間抜けな音を響き渡らせた。0点0点0点……審査員の出すカードが並んでいくビジョンが、湯に沈んで行く頭の中で浮かんで消えた。

 水面から顔を出した僕を、浴槽の学生グループ全員が驚いた顔で見つめていた。会話が止まり、浴場が静寂に包まれる。

 時間が止まったような耐え難い数秒の後、彼らの表情が驚きから呆れや軽蔑に変わった。嘲笑すら聞こえる。違う、わざとじゃない。浴槽に飛び込むとかいう、お前らですらやらないような幼稚で文明レベルの低いはしゃぎ方、僕がするわけないだろうが。ここは風俗街でこそあれ、スラム街じゃないんだぞ。

 早くこんな場所から立ち去ってしまいたかったが、あいにくこの温泉には浴場と脱衣場を隔てるものが何ひとつない。浴場から出て脱衣所で服を着て逃げていくまでの一切が、全て浴槽の彼らに筒抜けなのだ。僕は平静を装って、彼らの好奇の目が僕に注がれなくなるのを待つしかなかった。うだはもう脱衣所から消えている。N氏はどこかで体を洗っていてここからは見えない。彼らの嘲笑を一身に受けた僕は、苦し紛れに歪んだ笑み、というかほとんどただの苦渋の表情で応えながら、ゆっくり壁の方に顔を背けた。どう考えても平静を装えてなんかいなかった。湯は死ぬほど熱い。手に握りしめたオリジナルタオルの「地獄の湯」の文字が、頭の中で執拗にこだましていた。

 僕の繊細なハートをズタボロにしてくれた浴場をあとにして男湯ののれんを再びくぐると、右手にドライヤー100円の立て札が立てかけてあった。ほんまにこの大衆浴場は……。もう「由緒がある」と「時代遅れ」の違いは何なのかなどと考えていたことは完全に忘れていた。振り返ってみて今はこう思う。こんな時代遅れな大衆浴場、無料案内所と一緒に早く潰れてしまえ、と。

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