陰キャ新入生のジレンマ

エッセイ

 囚人のジレンマという、有名なゲーム理論がある。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマだ。

 例として出てくる2人の囚人は、ある事件で共犯関係だったという疑いがかけられている。検事は2人の囚人に、司法取引を持ちかける。「お前たちの片方が自白すれば、そいつを釈放してやろう。しなかった方は、懲役10年だ。両方が自白したときは、2人とも懲役5年、両方黙秘したときは、2人とも懲役2年としよう。」

 このとき、全体の利益を考えれば、合計の懲役が最小になる、2人とも黙秘して懲役2年という選択が最適だといえる。

 しかし、囚人が自分の利益を追求するなら、最も合理的な判断は自白することだ。相手が自白しなかったとする。このときの最適な選択は、自分1人が自白して釈放されることだ。相手が自白した場合はどうか。このときも、最も刑期が短くなる選択は相手同様に自白して懲役5年を受けることだ。つまり、相手がどちらの選択をするにしても、囚人にとっては自白を選ぶ方が得になるのだ。(Wikipediaより)

 このゲーム理論のポイントは、あくまで合理的な判断の結果として、個人の選択が全体の利益から遠ざかることだ。利己心の暴走というよりは、理性的な検討の結果なのだ。この理論は、理性が幸福に満ちた社会の構築の助けにならないどころか、真逆の働きをする可能性すらあることを示唆している。

 それでも僕は、人間を信じたい。理性だけが人間を人間たらしめているわけではないのだと。人間には他者を信じ、他者を想って選択し、ときには論理的な「正しさ」すら退ける、血の通った感情があるのだと。相手が裏切らないという根拠はない、それでもあいつは、俺のために黙秘するんじゃないか。そういう無根拠な考えが、信じるという言葉の本来の意味なのだ。確実にそうだといえる根拠があるなら、信じるという行為は成り立たない。そこには単なる判断があるだけだ。不確実なことだから、信じるのだ。人間には、その「他者を信じる」という力がある。

 僕はそう信じたかった。

 僕が通うキャンパスには、僕が所属する工学部ただひとつしかない。つまり、工学部の男女比が、そのまま講義室を、食堂を、図書館を出入りする学生の比率なのだ。大体男9、女1ぐらいの割合で、これについて考えるときはいつも、男女共同参画社会!!と発作的な叫びを発しそうになる。

 入学を前にした僕は、今更嘆いたところでこの男女比は変わらん、なんとかポジティブに捉えよう、と自らの考えをシフトさせようとしていた。なかなかに健気である。「そうだ、女子率が高かろうが僕に何かのメリットがあるとは限らない、現に今まで小中高と男女比がほぼ1対1の学校に通ってきたのに、男女交際の気配すらなかったじゃないか。それに逆に考えれば、こんな男女比のキャンパスだ、男子大生もおしゃれなどに疎いオタクがほとんどだろうから、僕のような存在も浮かずに済むんじゃないだろうか。」

 全然健気じゃなかった。単純に卑屈だ。

 とはいえ、将来の同級生に対する僕の想像は、全くの無根拠な言いがかりというわけではなかった。僕は見たのだ。2次試験の前期日程でキャンパスにやってきた受験生の面々を。

 あそこにいるのが僕のライバルか。たくさんいるな、緊張するなあ。どんなやつなんやろ。数学とかめっちゃできるんやろうな、理系やし。僕は苦手やからな。あー緊張してき……え?めっちゃオタクっぽい奴ばっかりやん。髪型とか、話し方とか、雰囲気とか。ここを何かのイベント会場と勘違いしてる?こっちは今から受験という人生を左右しかねないライフイベントへ挑もうとしてるというのに。ライブイベントやないぞ、ライフイベントや。アイドルも声優もおらん。そのサイリウムしまって早よ帰れ。あ、あれは交通誘導灯を振る守衛さんか……。紛らわしいもん持たないでください。にしてもほんとにオタクが多い、少なくとも7割はオタクやな、これ。全員メガネやし。うーん、そうか、そうなのか。ここはオタクのパラダイスみたいな大学なんだな、うん……。バラ色のキャンパスライフとはいかないだろうけど、ぶっちゃけゲーミングPCレインボー色のキャンパスライフとかになるんだろうけど、少なくとも居心地は良さそうやな。よし、悪くないぞ。

 自分のことは棚に上げて、勝手に受験生の風貌から安心感を得ていたわけだが、彼らのオタクっぽさは本物だったと思う。高校ではオタクとしか交流を持たず、また小中で付き合いのあった、当時は別段オタクっぽくなかった連中すらも軒並みオタクへの目覚ましい成長を遂げているなど、狙ったかのように人間関係がオタク一色だった僕が言うのだから、これは間違いない。

 僕はオタクパラダイス大学に無事合格した。入学式は新型コロナウイルスで中止となり、前期の授業も全てオンラインだったため、同級生と初めて顔を合わせることになったのは秋ごろだった。最初の対面授業の日、緊張しながらも、まあみんなオタクだから、とどこか高をくくって、アパートから大学への道を、ゆっくりペダルを漕いで走っていたのを覚えている。

 講義室に足を踏み入れた僕は、思わず目を疑った。なんやこいつら。髪色が明るい。カジュアルな感じのシャツに、ゆったりとしたシルエットのズボン(今調べたけどシェフパンツっていうらしい)。多分GUとかで揃えてるんだろうけど、みんななんかそれっぽくおしゃれな雰囲気で、うんこみたいな色のしわしわロングTシャツに中途半端な色合いのジーンズを履いてきた僕を寄せつけないような空気がそこに漂っていた。自分という存在が場違いな気がして出入り口付近で挙動不審になっていると、講義室の真ん中あたりに陣取っている、少数故か却って強い結束力をもつ、アメリカ人から絶大な信頼を受けていることで有名なダクトテープでぐるぐるに縛り付けたみたいな結束力をもつ女子グループの面々が、道に転がる犬のうんこを見てしまったというような顔で僕から目をそらした。クソが。

ダクトテープ(Wikipediaより)

 ていうか、オタクどこ?髪染めるだけじゃなくて髪型もしっかりセットしてるっぽいし、メガネ率減りすぎだし。こんなの、オタクじゃない……。オタク、どこ?オタク、全員落ちた?

 ……あ、オタクいた。前の方の席にちらほら。6、7人しかいないな……。僕もあそこ行こ……。にしても、居心地、悪……。

 こうして僕のうんこ色のキャンパスライフが幕を開けたのだった。

 でもね、冷静になって考えてみると、このオタクの少なさはおかしいんです。あれだけいたオタク受験生のほとんどが落ちたら、多分定員割るはず。

 つまり、この陽キャ大学生の中に、かなりの割合でオタクによるなりすましが存在するということだ。俗に言う大学デビューを果たしたのだ。

 ふざけるなよ、マジで。この裏切り者共が。確かに、この日以降もお前らはさらなる垢抜けを見せ続けてきた。お前らが着てたロングコートを最初に見たときなんかは、探偵アニメかなんかのコスプレ?コミケ帰り?なーんだ、やっぱりオタクなのね、などと願望混じりの妄想を巡らせてしまったが、あれもおしゃれな着こなしの1つらしく、辺りを見回したら結構な人数の学生が似たようなのを着ていた。こういうことがあるから、お前らから置いてけぼりを食らっている感覚が日に日に強くなる。でもですね。生まれたときから俺たち陽キャ!!みたいな勢いで明るくやってるようにお見受けしますがね。お前らが2次試験の会場入りを待ってる間に、「化学の最終確認するゾ。こ↑こ↓に化学基礎問題精講が……あれ、どこだ?これもうわかんねぇな」「あくしろよ」などとキッツい会話を展開してたの、僕はまだ忘れてないからな。あー、キショいキショい。お前らの今の陽キャ然とした振舞いは全部作り物なんだって、はっきりわかんだね。

 僕の大学の工学部を受験する奴らは、ほとんどがオタクだ。この状況において、全体の利益を考えるならば、オタクたちは大学デビューするべきじゃなかった。そうすれば、オタクが多数派の、オタクっぽい見た目の奴がキャンパスをうろついていても当たり前過ぎて誰も気に留めない、オタクのオタクによるオタクのためのオタクユートピアが完成したはずなのだ。それをお前らは、抜け駆けしようと大学デビューなんかしやがって。そりゃ、オタクたちの間から抜きん出るのは、普通の集団から抜きん出るより簡単だろうよ。世間の大学生の平均ぐらいのおしゃれ度で、上位グループに仲間入りできそうだもんな。カンボジア代表としてなら、マラソンでオリンピック出られそうだもんな。お前らにとっての問題は、同じことを考えてた奴が多すぎたのか、9割前後のオタクが大学デビューしちゃって、飛び抜けて誰かが目立つ、という状況が生まれなかったことだろうな。お山の大将にもなれなくて残念だったねぇ。悔しいねぇ。まあ大学のファッションレベルがある程度高い水準になったことによって本当に割を食ってるのは、そのへんの小学生に持ってる衣服の数でボロ負けしていると専らの噂の、僕らダサ・オタクに他ならないんですけどね。クソが。

 囚人のジレンマが導いた結論は正しかった。ほとんどのオタクはオタクユートピアという夢物語に見向きもせず、合理的な判断に基づき大学デビューによって自らのモテを追求し、結果それなりに充実した大学生活を送っている。一方オタクユートピアを実現すべく大学デビューという背信行為を拒否し、仲間(一方的な連帯意識)の裏切りを疑う心など毛ほどももたなかった敬虔なオタクは本当に少数で、その善良なる僕らは「なんか大学で浮いてるキモ・オタク」という烙印を押されるなど大損をこいた。

 僕はもう二度と人を信じてやんない。信じる者は救われない。それが大学に入った僕の最初に学んだことだ。クソが。

コメント

タイトルとURLをコピーしました